2011年2月7日月曜日

劇王だったのだ

私は現在大阪在住だ。生まれは京都で実家も京都だ。
けれど母の出身地の名古屋に小学校1年生入学の時から4年生の5月まで暮らしていた事がある。
物心つく頃の生活に影響を受けたので、京都に引っ越してからも名古屋感覚と関西のそれをバランスよく感じた。
名古屋では東京に憧れた。そして吉本新喜劇や漫才などの大阪の笑いも吸収していた。
名古屋はプリウスよりもハイブリット感覚だった。

あれから30数年。

名古屋で演劇を、舞台を踏めるとは。
以外に名古屋市内で芝居をするのはこの、「劇王」が初めてだった。
七ツ寺で北村想さんの最後の淋しい猫を天野天街サン演出でみたことはある。があれは観ただけだ。
シャトナー研でどこかの劇場に立ったこともある。(最後の実質号遠征だったな…。末満つくんもノボリコも車中にいたね。)があれはプロット芝居だ。なんか違う。
売り込み隊ビームの横山くんが書いた戯曲で、劇王があった。
そもそも劇王は、日本劇作家協会なる団体に所属している作家さんが参加し20分の作品を観客投票で優勝を競う演劇祭だ。その団体に彼はいて、昨年新人賞を取った。なんならOMS戯曲賞も取っている関西ではもっとそこを評価されて然るべき「ヨッコン」だ。ヨにアクセントを置いてヨッコンだ。
私の容姿と共演者永津ちゃんの美貌をモチーフに、整形した美しい妻へ仕返しに醜く整形した夫の夫婦喧嘩は優れていた。ユニークな発想。円谷作品に影響受けて育ったのでSF特撮的だなと感じてた。(それを言うと永津ちゃんはSMだと言った!)
結果、今回は8作品のなかで、選ばれなかった。観客投票は札幌からやって来た納谷さん組がトップだったが佐藤さん長谷川さん泊さん安住さん4人の審査員さんには高評価だった。フイギュアなら、キムヨナと真央ちゃんのどちらが良かったか?選ぶ様なものだったろうか。最高のトリプルアクセルが斬れたと自身は私たちにはあった。それはあの観客席の反応だけで充分だった。
400人クラスの劇場で演じる事も久しぶりで、もしかしたらそとばこまちにいた頃以来だろうか。(俺バカの遊気舎の本多は違うな。)台詞の応酬を舞台で二人きりで空間を所有しながら、もう片方の客席では圧倒的に広大な観客の目とマインドと反応が笑い声が静寂が、そんなのがもう、そとばこまちで立ったグローブ座や本多やスペースゼロや円形劇場や近鉄小劇場やアート館みたいで、もうそんなのが心地よくて。久しぶり役者魂を揺さぶられた気がした。この気持ちを、またcommoncafeに持って帰ろう。
名古屋は暖かかった。客席も。共演団体のみなさんも。
主宰の佃さんの気遣いや、ジャブジャブのコヤマさんと知らずに、車でコンビニまで買い出しを手伝ってくれたり。裏方さんもなんだか親戚のようにニコニコ作業されていて。そう、田舎へ親戚の結婚式にいって初対面の親戚たちと祝いを共有する感じに似ていた。みんな演劇を祝したいから集まったんだろう。
けれど、昨年の柄本明さんが審査員で来られた時に、辛辣に参加者の作品を評価したことをミミにすると、演劇を甘やかして育ててもいけないのも分かる。厳しく躾けて育てなければいけないのだろう。
はたまた、然し乍ら、今回の名古屋、長久手の演劇祭は、機会があればまたやってきたいと思う。名古屋の素晴らしい役者や作家さんもわかった。もちろん札幌の納谷さんたちも。

収穫のある名古屋公演だった。

改めて横山くん、永津ちゃん、笠原さんありがとう。
山での西村さん、福づきの山本さん、ありがとう。
小原さん、ありがとう。小原さんの笑い声が聞こえるのも久しぶりでした。workers以来でしたね。嬉しかったです。

今回の横山くん、永津ちゃんと創った「紛れて誰を言え」は、60分に拡大して7月にcommoncafeで中崎町ミュージアムスクエアNMS-O8で上演します。お楽しみに。

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