ピースピット公演「れみぜやん」が終わって数日。日常に戻る。稽古が始まってから、終わりはないと思う程あの劇世界が頭に居て。とても重い世界で苦しかった。一日僅かの稽古時間に賭けて集中しなければいけないのに調整不足で稽古を留めることもしばしば。何度ちゃんとやって下さいと叱られたか。この歳でまだ言われる事は辛かったし、でもそれは身から出た錆。後輩のお手本にもなれない悪しき慣習とも思われて、そんなつもりは全くなくても結果そうな訳で言い返せるわけもなく…。
芝居を始めた頃に憧れた主役の想いは、叶ってみるとそれはそれはとても高みにあって、中々届きはしなかった。
番場伴と佐平竜。
ジャンバルジャンとジャベール。
どちらも演じることはとても大変だった。
キン肉マンのパワーを受け入れられずに吐き出してしまったバッファローマンのように身体が熱かった。吐き出したかった。でもそれはできなかった。
責任。この言葉を胸に、兎に角迷惑だけはかけまいと、努力した。
昭和の世界に生きる男を意識したら緒形拳や西田敏之、石立鉄男が浮かんだが、アウトプット最終系は武田鉄矢だった。情熱を届けようとした。
舞台センターの真ん前で、一条の光の降りる中に立ち、朗々と台詞を吐くのも、正直怖かった。なんで今自分がこんなに喋ってるんだなんて思ったりもしながら吐いてた。あのサスの光の中は、檻に閉じ込められて見世物にされている気分だった。怖かった。
ぼくが間に合わない所は山浦さんが微に入り細に入り助けてくださった。
その昔。ピースピットのSMITHが終わったある日に主宰の末満くんが言ってた。アントニオでスピンオフの主役芝居をやりたいですね、と。そとばこまち在籍時もそんなことは言われなかった。僕のために主役芝居を捧げてくれると、あの時彼は言ってくれて。でもそれは実現せず、幾年過ぎて、今回のリバース主役となってぼくは番場を演じた。
あんなにやりたかったセンターは、こそばゆくもあり、でも一幕ラストの台詞からの群唱の瞬間は最高に気持よく、演劇してたと思った。
リバースが終わった袖中で末満くんに手を差し伸べ固く握りしめた。僕は左手を出した。
僕は、しばらくはこんな規模のでかい作品に関わることはないと、今は思ってる。26年目の演劇人生に帳尻を合わせることが出来たと思ったりしてる。お陰様で観てくれた方からは今迄で1番だとも言われたりした。勿論そのつもりで、集大成のつもりで挑んだ。2人芝居伊達にやってきたんじゃねえぞ!とオリバのように無骨な鍛え方で俺なりの演劇進化を見せたかった…そして、伝えることが出来たんだと思うけれど。
スタッフさんに、家族のみんなが誇らしく思えたと思いますよと言ってくれた。そうなってくれて良かった。
実家の家族も久しぶりに誘った。涙流して観てくれたそうだ。嬉しい話だ。親孝行ができた。
劇中に流れる昭和歌謡も僕には心地良かった
終わってみれば既に懐かしい想い出となったが、稽古から小屋入りを経て終演までの間は「自分が役者として為すべきことは何か」を常に考えた その考えに沿ってたり外れたりして苦しみぬいた
楽しいだけでは感動はつくれない現場でした
またいつかはもうない
ありがとう れみぜやん
さらば れみぜやん
石原正一